”じぶん”と共に生きる

元うつ病アラサー女子の人生観

2019年8月11日(日) part①

よさこい祭り2019」二日目。

 

 

 

 

 

 

「おじいちゃん(長野在住、母方の祖父)が亡くなったって連絡きたから。」

 

 

朝6時半頃に両親に起こされ告げられた。

 

 

 

 

 

 

普段ならとっても悲しい言葉に聞こえるはず。

 

 

でも、精神がボロボロの今、

正直何も感じなかった。

 

 

 

 

 

 

気力も湧かず、涙も止まる気配はない。

 

 

葬儀のため、高知から長野に移動する必要があったが、

今の私には体力・精神力が不足し過ぎている。

 

 

 


それに、現地に到着したとしてもどうだろう。

きっと、 無口でただ泣くだけになるはずだ。

 

 

「自分のことを理解して欲しい」とは微塵も感じないので、

状況を話す気もさらさら無い。

 

 

そして事情を知らない人はきっと、

「おじいちゃんが亡くなったことで悲しくて泣いている」と勘違いするだろう。

 

 

 

 

 

 

全くそんなことはないのに。

 

 

 

 

 

  

寝込んでいた私を部屋から連れ出すために、

母は何度も私の部屋に踏み入り、

今一番聞きたくない「頑張れ」という言葉を何度も繰り返し発した。

 

 

 

 

 


「どうにか頑張って欲しい」

「どうすれば治るのか」

 

 

 

 

 


どうすれば治るのかって…

それが分かっていれば、私は今こんな状態ではないはずだ。

 

 

 

 

 

 

そして挙句の果てに、

 

 

「あんた一生後悔するよ!」

「私にまで負い目を作らせるつもり!?」

 

 

と言われてしまった。 

 

 

 

 

 

 

『私にまで』ね。
あーあ、結局自分が大事ですか。

 

 

 


昔私に向かって言った 

 

「あなたが一番大事」

 

という言葉は

やはり嘘でしたか。

 

 

 

 

本気で信じていたので、

母親に裏切られた気分だった。 

 

 

 

 

 

  

だから人は信用できないんだ。

 

 

 

 

 

 

分かっていますとも。

 


私は育ててもらった母に何も恩返しをしていない。

優しくされるための対価を何一つ払っていないのだから。

 

 

 

 

 

 

愛犬はペットホテルに預ける予定だった。

父も愛犬も家に居なかったら、(私を置いて予定通り長野へ向かっていたら、)

自殺するか関東に戻ろうと考えていた。

 

 

 

  

 

  

無性に食器を床に叩きつけたい衝動にかられた。

 

 

 

 

 


しかし、リビングに行くと愛犬が居た。

私の頭は「?」で埋め尽くされた。

(なぜ愛犬が居たのかについては、part②をご覧ください。)

 

 

 

 

 

 

食器を床に叩きつけたいが、愛犬は傷つけたくないと思った。

(きっと、愛犬が「怪我する」と理解できる知能を持っていたなら、

逃げてくれるからやっていただろうが…彼は犬だ。)

 

 

結局何もせず終わった。 

 

 

 

 

 

 

午前中、部屋に籠って考えていたのは、

 

・他の親戚と接触することは避けたいこと。

・家に誰も居なくなったら、関東に戻ること。

自殺方法。

 

 

自殺に関しては、

 

電車は後で多額請求が発生するから、両親に余計迷惑をかけてしまう。

飛び降りは楽なのかな?

やはり心臓一突き?

 

そんなことをひたすら考えていた。 

 

 

 

 

 

 

あるYouTuberのある動画を見ていて、

この人は生きるための努力をして、今幸せに生きてるんだなと感じた。

 

何というか、「自分の思うままの人生を謳歌している」ように思えた。

 

 

 


対して私は何の努力もしてないし、

やっていることといえば、人に借りを作ることばかり。

 

 

だから生きる意味も分からないし、生きる気力もない。

 

 

楽しくない。

 

 

 

 

楽しく自分らしく生きる、そんな明るい未来がいつか来るのだろうか。

それとも、自分で自分の未来を閉ざすのか。

 

 

今の自分には分からない。

 

 

 

 

とにかく今は、頑張って生きるということができない。

 

 

とても生きていけない…